『ターミネーター2』3D版が、日本での全世界最速公演が決定。
誰もが知っている名作をもう一度見る前に、
知られざる製作裏話があった!
ターミネーターが製作されたのは1984年、自身が見た夢で本作が誕生した。
それはジェムス・キャメロン監督が熱を出して寝込んだことがあり、その際に「炎の中からロボットが現れて自分を殺しに来る」という悪夢を見たことが本作を製作するきっかけとなったようだ。
『ターミネーター』の権利を買い取れ!
『ターミネーター』が大ヒットした後、当然ながら次回作に期待がかかったのだが、当時『ターミネータ』の権利は複数の映画会社が所有していたのと、ヘムデール社に対してキャメロンが不信感を抱いていたため続編の進展は難しいとされていた。
ところがその後、権利を所有していた「ヘムデール社」の経営状況が急激に悪化。
それを察したアーノルド・シュワルツェネッガーが『トータル・リコール』でタッグを組んだカロルコ社の社長マリオ・カサールに『ターミネーター』の権利を買い取れ」と持ちかけたそうだ。
ロバート・パトリック、あわや丸焦げに!
出典:http://f.hatena.ne.jp/type-r/20150121001539
現在の映画のほとんどがCGを使っての撮影がされているが、CGを本格的に導入したのはターミネーター2が初めてだった。
撮影を続けていく中でたくさんの困難があったが、中でも「T-1000が炎の中から現れて歩き出すシーン」は苦労したという。
当時はモーション・コントロール・カメラも現在のように優れているものではないため、ロバート・パトリックと背景を後で合成する予定だったが何度やってもうまくいかなかった。
そこで仕方なく実際にロバートを現場に立たせて撮影することにした。
しかし、周囲は炎に包まれており、その近くを歩くのはかなり危険だったらしい。
ロバート曰く、火傷しない程度でいいのでなるべく火に近づいてくれと監督に言われ、思い切って近づいたそうだ。
その時の様子をロバートは、
「思い切って近づいたんだけど、ちょっと奥に入り過ぎてしまった。気づいたら四方八方を炎に囲まれていて、これは危ない!と思ったよ。物凄い熱さで服が焦げているのがわかったし、皮膚の表面が痛くなった。自分が唐揚げになっていくような気がして、ゆっくり歩かないといけないのに、歩調が徐々に速くなってしまった」
と語っている。
その撮影が終わった瞬間、監督が走ってき「今のはやりすぎだ。今度はあんなに奥までやいらないでくれ」と言われたそうだ。
驚いた住民が通報する騒ぎが!
映画の中盤にサラ・コナーが核戦争の悪夢を見るシーンがある。
このシーンでは実際にロサンゼルの町並みを忠実に再現した小さなビルを大量に作り、5台の強力なエア・キャノンを使って一気に吹き飛ばしなら撮影が行われている。
よりリアルな核爆発を撮影するために、大きな爆発を起こした方が良いという判断で、西部のモハーヴェ砂漠にあるエル・ミラージュ湖の干上がった湖底に花火用の打ち上げ台を14個設置。80ガロン(約300ℓ)のガソリンを使用してとてつもない規模の爆発を起こした。
その爆発の規模は、地上で直径65フィート(約20m)、それが燃え上がって85フィート(約26m)にまで拡大し、さらには火の玉は250フィート(約76m)まで上空に上がり、その映像にスタッフは大満足の様子。
ところが、あまりにも大きな爆発だったことから、近くに住んでいた住民が驚き、消防と警察に通報し大騒ぎに。
住民は「飛行機が墜落した」と勘違いし、消防と警察に通報したらしい。
リンダ・ハミルトン『下ネタ』にウンザリ!?
出典:https://www.youtube.com/watch?v=rkRU_TueQiU
リンダ・ハミルトン(サラ・コナー)は、『ターミネーター2』の撮影中いつもイライラしていたようで、その理由がアーノルド・シュワルツェネッガーの「下ネタ」。
彼女はロケバスの中で何時間も一緒に過ごす時があったそうだが、その時にエドワード・ファーロング(ジョン・コナー)に女性を喜ばせる秘策をレクチャーしていたようだ。
そんな会話を聞きながらずっと座っていないのが本当に苦痛だったと答えていた。
シュワちゃんは完全にセクハラ親父になっていたようですね(笑)
まとめ
今回はあの有名なターミネーターの製作裏話を紹介してみました。
『ターミネーター2』3D版の日本公開日は8月11日に決定しており、アメリカより先に公開されるようになっていますね!
個人的には見たことがあるターミネーター2が3Dになってどのくらいの迫力になるのかとても楽しみです。
USJにあるターミネーターを予想してしまうのですが、あれくらいのは迫力を期待してしまいます。